僕はお母さんに0さいの時から本を読んでもらっていた。それが効果的だったのか学校でも国語は得意な方だし、読書感想文とかで賞をとったりもした。本も難しい本をたくさん読んでいて実際書いたりもしている。昔の話は今に役立つのだ。
話は声によって伝えられる文学である。例えば集団生活の仕方や衛生上の話や交差点のわたり方だ。
僕はこの意見に納得した。文学・・・この場合は本とかでいこう。文学は人に物を伝える手段である。手紙とかがいい例だ。文字を書くことで人に何かを伝えられる。そしてそれが名作だったりしたら後世に残る。名作じゃなかったとしても気に入る人がいたら残るだろう。声でも同じだ。交差点のわたり方とかはいつまでもおなじ(だと思う)だ。だから小さい頃教えられた(声で)みんなとの過ごし方なども自分が小さい子たちに教えることができる。確かに文学だ。文学は後世に残ることを言うのではないかと僕は考える。
昔話は今日ではもっぱら子どもたちに読んでもらうための話になっている。昔話は人によっていろいろな見解が有るため、色々な考え方が身につく・・・と考えられる。
昔話は今では文学の基礎となっている。(と、おもう。)多分、はじめて読んだ本が星の王子さまという、とても読解力を要する本だという人はおそらくいないであろう。僕が面倒見ている小さい子たちは絶対に文のはじめを『むかしむかし』から始めようとする。昔話が今も生きているのだ。そして子どもたちに読んでもらうための話になっているというのも事実である。例えばかぐや姫・・・原文、今は昔竹取の翁と言うものありけり。野山にまじりて竹を取りつつ・・・これがちっちゃい子に読めるだろうか。読めないと思う。(むしろ全文覚えているこの僕が天才!僕まだちっちゃい子・・・だよね。はい、じゃあ拍手!パチパチ)でも今では・・・昔々あるところに竹を取って生活しているおじいさんがいました。竹を取ったら・・・だろう。
最近、新聞で読んだことがある。若者の読解力がどんどん低くなっている、と。その原因を僕はスマホなどで簡単な文を読みすぎてしまい、難しい本当の文を読むと頭がこんがらがってしまうことにあると僕は思う。たしかに、スマホの文は子供も読むから、かんたんの方がいい。それは分かるのだ。十分わかる!でも、難しい本にも慣れ親しんで置かなければ、いざとなったときに困る。備えあれば憂いなし、だ。子供用の簡単な文は大人にも多大な影響を及ぼしている。昔話を・・・嫌な言い方で言うと捻じ曲げると現代にわるくつながってしまう。昔話と現代の話はつながっているということが嫌というほど分かるだろう。さっきのかぐや姫の話もそうだろう。本屋では原文のかぐや姫は見かけない。子供用になっているからだろう。大人たち・・・いや世界中のみんなに原文のかぐや姫を読んでほしいぐらいだ!
昔話は今に生きている。昔書かれた名作などと言われるものもそうだろう。昔書かれた書物・・・例えば僕が大好きな孫子など・・・は今の人たちの知恵となっていきている。(例えばソフトバンクの社長の孫正義さん。孫子から孫氏に繋がれる・・・なんちゃって)歴史の授業とかもそうだろう。なんで歴史を勉強するの?その質問には僕が答えよう。過去の人達の知恵を使ってこの世界を生きるためだ。今君たちが生きているのは次の世代の人達にこの教訓を伝えて生きてもらうためだ!(*注 大きくまとめてしまいましたがこれは僕の意見で、社会論ではありません)僕が言いたいのは歴史の勉強をしなさい!ということではなく昔話を今の自分達に当てはめてそれを使ったらどうだい。多分役に立つよ。ということだ。僕も本を読んで育ったうちの一人だからソレはわかる。
人間にとって昔話は現代の話である。昔の話と現代の話はくっきりと見える糸でつながれている。昔の人々が自分の知恵と人生で示し、そして紡いできた物語を大切にしなければならないと僕は思う。現代を生きる人達のために物語・・・文学はある。
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