海舟文庫

人を受け入れること

人を受け入れるというのはどういうことだろうか。

 「流石にそれはひどいよ!」「お前が悪いんだろ」これは僕がお父さんに反抗してしまったときの風景だ。なぜこんなふうになったのかは色々あるが、まあ大きく言うと受験勉強で追われていて、解けない問題がありお父さんに聞いたら、「こんな問題も解けないのか。勉強してないからだな。じゃあ本一冊没収!」・・・という感じだ。勉強はしてたのに・・・・・

 人は生まれながらに持っている性格がある。若い頃は沢山の可能性があって自分の長所を探しているときだ。たくさんの可能性があるのだからみんなが目指すような場所ではなく自分の好きなことをした方がいい。輝かしい未来を考えない大人は自分の人生という喧嘩に負けてしまうから。

 さっきの話だ。人は生まれながらに持っている性格がある。なのにそれを認めないからこんな喧嘩が起こる。普通に別人だったら別にこんな風にはならないだろう。だが、家族だとこうなる。友達もそうだろう。なぜだろうか。僕が思うに、同類だと気を許してしまうのが原因だと思う。自分の分身と思っているのだろうか。何故か近い人間だと喧嘩になる。

 同じ食べ物、同じ服の洗剤、分け与えた血・・・同じことが多いと気を許してしまうのは分かるだろう。例えば、一人ぼっちだった人が同じ映画を見た人と話があって友だちになる。とか食べ物の好みが一緒で友達になる・・・など。たくさんの例がある。僕も同じだ。同じ本を読んで面白いと思った場所が同じで友だちになった時があった。しかし、そうやって作った友達はその分一度、意見が食い違った時一気に仲が悪くなる。さっきの例の友達ももう仲が悪い。話が合わなくなったからだ。最初から仲の悪かった人と意見が食い違ったって「こいつとはもとから仲が悪かったからな。」と諦めがつく。しかし、仲の良かった友達と意見が食い違うと裏切られた気持ちと嫌な気持ちが一気に自分に襲いかかる。喧嘩になるのも無理ない。

 人を受け入れる。それは何より難しいことであり、何よりいいことである。みんな違う人間だ。それをみんなわかってない。『人を受け入れよう!』誰もがそう言う。それはただの絵空事だ。本当にできている人はすごい少ない。ほんとにわかっているのなら喧嘩も、戦争もなくなるはずだ。(流石に争いがなくなるとは言えない。)しかしそれはできない人が多い。自分が基準。そう思っている。自分ではそんなこと思っていないと否定するだろう。だが他人から見ると態度に出ているのだ。みなさ~ん、気付いてましたか〜

 自分が基準。自分がルール。そんなことあるわけ無い。人は人である。自分ではない。それはわかっているだろう。例えば自分がテストでカンニングをしたとする。すると自分が基準なのだから他の人もカンニングしなければならない。そしてそのルールを守らなかった人は逮捕。罰を受ける。つまり自分が嫌なことをしていたらその真似をみんなしなければならないということである。自分の言うことを守らなかったら嫌なやつなのだ。僕だったらそんなこと嫌だ。誰かが泥棒をする。すると世界全員が泥棒をしなければならない。人が殺されてしまう。そしたらみんな人のことを殺そうとする。そしたらどうなる。人類は数時間で滅亡するだろう。どうだ。ことの重大さがわかってきただろう。そう、やばいのだ。自分が中心で実際従ったら人類滅亡までGoGo!それはまずい。やばい。

 まあ今はこのような現状には至っていない。人が良すぎる頃もあるが、全員が自分が基準だと思っているからだと思う。でも自分が基準だと思っていたら喧嘩が絶えず起こる。さてどうすればいいだろう。僕が思うに人類滅亡(笑)を防ぐための手段として人を受け入れることだと思う。

 人を受け入れれば、ああ、この人はこういう人だ。じゃあこれは通じなくてこれは通じるな。これは嫌いだな。とか試行錯誤してみよう。そうすればいずれ仲良くなるだろう。

 ぼくも人の好みなどを知るために人間観察をしている。友達が一人や二人というこの僕だからこそうまいのだろうか。案外ひとの癖などを見つけて推理すればかんたんに人の好みなんか分かるものだ。まあ、人の好みがわかっても自分を直さなければだめだが。冒頭の喧嘩も僕が悪い。だから頑張ろう。孫子も言っている。「彼を知り己を知れば百戦殆うからず。」相手のことを知って自分のことを知れば、いずれは友達作りという戦いに負けることがなくなって人と仲良くなって友だちもできる!(と僕は信じている。できないけど・・・・・)

 だからこそ考え直してみよう。自分はそんなに偉いのか?自分はそんなに正しいのか?と。自分が基準ならそれは正しいことだ。でも、人を殺したり、痛めつけたり、害を与えるのは人間としてどうだろうか。それでも自分が中心がいいというのならば、偉くなって法律でも変えておけ。まあ自分が中心がいいという人は態度からわかって法律を変えたりすることはできないだろうがな。自分が正しいことをしていないのならそれを人に強制してはならない。人は人なのだから自分のせいでその人生を棒に振るのは絶対に駄目だ。

 自分が正しいのかと問う。そうすればいずれ人を受け入れるのが当たり前の世の中になると思う。

 人を受け入れるというのはどういうことだろうか。まだ僕にはそんな難しいことわからない。だが、僕が思うに人間は自分が基準だと思い続けてきた。しかし自分は正しいのかと問い続けることで人は受け入れられて、この世界は平和になると思う。人間の平和というのは人を受け入れることだと僕は信じている。